M-1グランプリ2019から推測する今後の芸人の働き方改革とは

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いやぁ〜!凄かった!

今年はハンパなくレベルが高かったですね!

出てくるコンビはみんな面白かったし、審査員が独特の「好き嫌い」で辛いコメントを発して水を差すようなこともほとんどなく、最初から最後まで全てが良い状態でした。

見逃した方は今年は本当に見たほうが良いですよ!

今までは、「M1グランプリ」という“面接”を経て、「テレビ番組」に“就職”するスタイルだった

私はお笑いの評論家ではないので、それぞれのコンビの総評などはいたしません。

「みんな違ってみんな良い」

と、心から言える大会であったことは確かです。

今回はM1を見ながら、いろいろなことを考えさせられました。

とくに、これからの“芸人のありかた”が変わっていくことについて触れてみたいと思います。

今までの芸人にとっての「M1グランプリ」とは、そこに出場してインパクトを残してレギュラー番組を獲得する!という目的がありました。

ですので視聴者である私たちも、「ネタは面白いけどトーク力が無さそうだからテレビでは使いにくいな」とか、ネタ以外のことでいらない心配をしたりしていました。

また、ネタの構成としても、今までの漫才の型を基盤としてネタを作り、その中で自分たちのオリジナリティを加えるといったスタイルがほとんどでした。

ですので、「型重視」という印象が強く、単純に「面白い」というよりも、「うまい!」とか「さすが!」といったような、見ている人を唸らせる様な漫才が評価されてきた様に思えます。

なぜそのような漫才が評価されるかといえば、型にハマったタイプの方が「色物」扱いされにくく、M1でブレイクしたあとのテレビ番組で長く使ってもらいやすいという傾向があったからではないかと推測します。

それともう1つは審査員の人たちが「漫才」というものを“格式高いものにしたい”という思いがあったのだと思います。

ワシらが一生懸命やってきた「漫才」っちゅうもんは、そんじょそこらの薄っぺらい笑いとは違うんや!

という審査員のプライドが、今までの「うまさ」が重視される評価基準にしていたのではないでしょうか。

今までも特殊なスタイルの芸人はもちろんたくさん出てきていましたが、そのようなタイプは「一発屋」のような扱いになり、長くテレビに出続けるコンビはなかなかいません。

このような背景から「M1グランプリ」が芸人にとっての“面接”のようなものであり、そこで認められた芸人がレギュラー番組に“就職する”といったスタイルになっていました。

「M1グランプリ2019」は“うまさ”よりも単純に“面白さ”が評価された

しかし今回のM1のファイナリストを見て思いましたが、今までのM1に出てくるような、「知名度があり安定した漫才をするコンビ」ではなく、「知名度もなく、どんな漫才をするのかわからない」といったコンビがほとんどでした。

これはM1側もさぞかし「視聴率」がとれるか肝を冷やしたことだと思います。

知名度があるコンビがたくさん出るほど、安定した視聴率が稼ぎやすいですが、私の場合ですと半分ぐらい耳にすることも初めてのコンビっだったので、正直あまり期待していませんでした。

しかし蓋を開けてみると、そんな心配を大きく覆してくれました。

そして今までのM1で評価されてきた漫才よりも、単純に「面白い」漫才が多かったと思います。

審査員であるサンドウィッチマンの富澤さんも「単純に笑える漫才でした」みたいなコメントをしており、審査員でありながらも楽しみながら漫才を見ている姿が印象的でした。

今大会で、評価基準が今までの「うまさ」重視から、「面白さ」重視に変わったと思います。

これは芸人にとっても視聴者にとってもありがたいことですよね。

審査員をなくしてしまえば「漫才」はもっと発展する!

私たち視聴者は「面白い漫才」を見たいだけなのに、評価基準が「審査員の好きなスタイルかどうか」に大きく作用される姿を見て、今までどれだけ興醒めしてきたか…。

そもそも「落語」や「狂言」のような伝統芸能に比べると歴史も浅い「漫才」は、多様性があり時代を反映しやすいものです。

マイクスタンドが真ん中に1本立っていれば「漫才」と言っていいのではないでしょうか。

それぐらいの自由度があるからこそ、広く受け入れられているのに、「漫才とはこういうものだ!」みたいなものを審査員が決めてしまうことに凄く違和感を感じていました。

これからも長く続くであろう「漫才」という文化を、審査員に評価されるスタイルは「漫才」のポテンシャルに蓋をしてしまうようなものです。

これからのM1グランプリは、とくにテレビで全国放送されるファイナリストたちの戦いに関しては、「視聴者がリアルタイムで投票したもの」だけで評価していくべきだと思います。

それでこそ、「漫才」が審査員の決めた「漫才とはこうあるべきだ!」といった個人の偏った固定概念から解放され、その時代の一般庶民が求める「面白さ」を追求していくことになり、漫才があらたな文化として大いに発展していくきっかけになると確信しています。

そうはいっても、今年の審査員は例年に比べて「ダメだし」が少なかったと思います。

それには「漫才を文化としてもっと成長させよう」という考えがあったのか、今回出場したコンビのレベルが高かったからかはわかりませんが、「審査員のコメントで興醒めする機会」が少なかったことが今回の大会を盛り上げた要因の大事な要素となっていることは間違いありません。

これからの「M1グランプリ」の存在意義とは?

先程、「M1」は“面接”で、「テレビのレギュラー獲得」が“就職”のようなものだと述べましたが、これからはこの構図が確実に変わってきます。

それはそもそもの「テレビの力」が弱まっているからです。

テレビの視聴率は年々落ちて行っていることは明らかですし、芸人としても成長産業ではない媒体で働くことはあまりメリットがありません。

テレビの力が弱まっているのは「YouTube」や「Amazonプライム」や「Netflix」などのテレビに変わる多種多様な映像コンテンツがたくさん出てきたからですよね。

少し前までは家の中で「今日は面白いテレビないわ〜」という会話がよくありましたが、今ではそもそもテレビに依存していないので、テレビで面白い番組がなやってなくても全く問題ありません。

インターネットを通じて、好きな時に好きなものを見れるようになりました。ですので、それが当たり前の子ども達世代にとっては、近い将来「テレビ」が家にあること自体が時代遅れになってくるのではないでしょうか。

テレビが骨董品としてオークションに出品されるようなことにもなるかもしれませんね。

話は逸れてしまいましたが、このように深刻なテレビ離れが起こっている状態で、果たしてこれからを見据える若手芸人達は今までのように「M1で有名になってテレビのレギュラーを獲得したい!」と思うでしょうか?

ちゃんと未来を見据えてコンビ活動していると、テレビという分野で活動することがいかにリスクかがわかってくると思います。

すでにいろんな芸人がYouTuberとして活躍し始めていますが、今後はそういった芸人達のように「自分達のチャンネル」を育てていくことがメインの活動になってくると思います。

ですので「M1グランプリ」に出場する目的が、「レギュラー番組を獲得する」ことから「チャンネル登録者を獲得する」ことへと変化していくことでしょう。

ですので昔の芸人独特の「師弟関係」や、テレビ会社の権力者に忖度する必要がなくなりますので、より自由な漫才が増えてくることでしょう。

「吉本芸人」という勢力が弱くなり、一般の「ユーチューバー」のような、芸能プロダクションに所属しないフリーランスの人達が「新たなチャンネル登録者を獲得する手段」としてM1を活用してくるのことでしょう。

ですのでM1グランプリの主催者側は、それを見越して出場できる裾野を大きく拡大して「参加料」で利益を出していくなどしていった方が良いでしょう。

間違っても参加資格を制限したりして、漫才の文化を限定的なものにしないようにして欲しいものですね。

まとめ

色々と物申しましたが、結論「今回のM1グランプリは最高だった」ということです。

私たちサラリーマンの働き方が変わってくるように、芸人の働き方が変わっていくことを今回のM1を見ながら予想することができました。

私たちも芸人の方々に負けないように、時代に合った努力をしていかなければなりませんね!

実は私も大学時代と社会人時代に1度ずつM1グランプリの中国地区予選を突破した経験があります!えっへん!

今後またM1グランプリの参加の裾野が広がったら、また漫才をやってみたいなと思いました。

私のように今大会をみて「漫才」に憧れる人が増え、漫才に挑戦することで新たな漫才文化が花開いていくことを期待しています。

それではまた!

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