先日、子ども達3人が実家に泊まってくれたので、久しぶりにゆっくり嫁と2人で話すことができました。
嫁と私は高校時代のクラスメイトで、その時から付き合ってそのまま結婚しました。そろそろ人生の半分ぐらいは一緒に過ごしていることになりますね。
昔から仲良し夫婦ですので毎日会話はしますが、子ども達3人と遊びながらですので多くの場合会話が「ながら作業」になります。
「ゆっくり」と話をする機会はとても貴重ですので、子ども達を泊めてくれる実家の父母には感謝しています。
「子育て中の夫婦」の主な会話とは
さて、嫁と2人きりになると
最近の「子ども達の様子」であるとか、「ケンカの内容」などの近況報告を受けたりします。
また、「宿題」や「習いごと」なんかについても嫁から相談を受けたりしますので、「子育て」についてのお互いの考えのすり合わせも行います。
毎日一緒にいる夫婦ですが、こういった会話をすることで普段気付くことがなかった嫁の「悩み」や「迷い」を知ることが出来ます。
私は「心のないロボット」だった

以前は「子育て」について話をするとき、嫁から泣きながら怒られることがよくありました。
怒られる内容としては、「もっと遊んであげて!」とかが多かったと思います。
しかしこちらとしては「たくさん遊んでるよ!」と思っていたので、嫁の必死の訴えは全く私の心に響いてきませんでした。
私は常に「良いお父さん」でありたいし「良き旦那」でありたいと思って、それに近づけるように動いているつもりですが、そう思われていないことに腹を立ててしまっていました。
ですので、嫁が泣きながら訴えてきても
「何言ってんだこいつ?」
という態度をとるので、嫁からは「心のないロボット」と会話しているみたいだなんて言われていました。
自分でも「泣きながら訴えてくる嫁」を見ながら、逆に「ものすごく冷静になっていく自分」を自覚していましたので「ロボット」と言われてしまっても仕方がないと思っていました。
「感情的な嫁」と「心のないロボット」の会話はなかなかシュールな状態だったと思います。
最近は「心のあるロボット」を目指しています

この状態でも仲良くやってきましたし、「女」という生き物はある程度感情を外に吐き出すことによって楽になるということもわかってきました。
要は「誰かに聞いてもらいたい!」ということですよね。
そこを理解してようやく
「また始まった…」
から
「ちょっと最後まで聞いてみるか」
というスタンスに変わっていきました。
夫婦のあり方については今年読んだ2冊の本がとても参考になりました。
夫婦におすすめの本part1『7つの習慣』
1冊目は『7つの習慣』です。人生において「何が大切か」、「何を大事に生きてゆけば良いか」を考えることが大切であると教えてくれました。
夫婦の関係だけでなく、子育てについてもたくさん良い影響を与えたくれる本です。
今年読んだ本の中でも私にとって1番良い影響を与えてくれた本かもしれません。
一冊家に置いておき、一年に一回は読み直しをしていこうと思っています。
夫婦におすすめの本part2『嫌われる勇気』
もう1冊は『嫌われる勇気』です。こちらは「アドラー心理学」について書かれた本で、「心理学」や「哲学」が嫌いのホリエモンも絶賛している本です。
ホリエモン曰く、今までの哲学者達の考え方は自分とはフィットしなかったが、「アドラー心理学」はめちゃくちゃフィットしたと言っていました。
僕もホリエモンと全く同じでめっちゃフィットしました。
この2冊に共通して言われていることは、「他者貢献」です。
「真の自由」を手に入れたかったり、「理想の自分」に近づきたかったりすると、「他社」にどのように関わっていけばそこにたどり着けるのかを考えさせられます。
ですので「1番身近な他人」である「夫婦」という関係を、「長く」「健全に」続けていくには「他者を理解しようとする」ことが大切だとわかりました。
ですので最近は「心のないロボット」から「心のあるロボット」ぐらいにはなれたと勝手に思っています。
長期的に健全な家族を運営していくためには「健康」が1番大切

これらの本を読んでからというもの、2人の会話はより建設的な内容になり、「将来的にどうなりたいか」「子ども達に何を伝えていくか」ということに主眼をおいて物事を考えられるようになりました。
「将来的にどうなりたいか」というのは、子ども達が大人になった後の私たち家族の理想の関係を想像し、そこに近づくために逆算して今何を重視すべきかを考えています。
これはそんなにたいしたものではありません。
今のところ、「歳をとってもしっかり動けるように健康でいること」ということが長期で健全な家族を運営する上で1番重要であると考えているため、そのために「食事」や「運動」、「睡眠」などの日々の習慣を見直すことが必要であるといったような話をしています。
子ども達の成長によって、家族の関係や関わり方はその都度変わってくるとは思いますが、なによりも「健康」でいることが大前提です。
「病気」や「事故」など、予測できない事態は別として、自分で管理して手に入れることができる範囲の「健康」については、しっかり自己をマネジメントしていくことで「良い状態」を長く維持していきたいと考えています。
問題があるのは子どもではなく親のマネジメントの方

子育ての面では、嫁は様々な悩みを抱えています。
でも、わたしからするとどれも「たいしたことのない悩み」です。
いつも一緒にいる嫁だからこそ小さなことに気がつくのだと思います。
嫁は「宿題しなさい!」とか「お片付けしなさい!」などと何回もガミガミ言ってしまうことなどで悩むことが多いのですが、話を聞いているうちに、どうやら「どうしたらそれを解決できるか」については考えていないことがわかりました。
それは「目の前の現象」について「反射的に怒る」ということに専念しており、その行為には「教育」という意味合いがないのです。
「目の前の現象」さえ解決してしまえば良いので、子ども達は宿題をしたり片付けたりする行為に、「理由」や「意味」を見出すことが出来ません。
嫁にとっては「夕飯が出来たので早くおもちゃを片付けて食事を始めたい」という「理由」があったり、「宿題を後回にすることで時間的に追い詰められることから助けてあげたい」といった、怒る「意味」はしっかりあるのですが、それらは嫁の都合なので子ども達には響きません。
ですので、このまま「目の前の現象」を解決するために起こり続けていくと、そのうち子ども達は「片付けたら良いんでしょ!」とか「やれば良いんでしょ!」といった反応になっていき、それを見た嫁のイライラがさらに増していく構図になっていくことでしょう。
子どもの行動を変えさせるには「自分で決めさせること」が大切

このような状態を解決するには何が大切かということを、先程紹介しました『7つの習慣』には書いてあります。
それは7つある習慣の中でも、1番最初に出てくる基礎となる考え方として紹介されている「主体性を持つ」ということです。
この「主体性を持つ」ということを簡単に説明しますと、「自分で決めたことに責任を持つ」というふうに解釈しています。
これは大人になっても「主体性」を持たない人はたくさんいますよね?
「仕事が楽しくない」とか「なんのためにやっているのだろう」とか愚痴を言う人間に限って、現場では完璧な「指示待ち人間」として動いています。
何も考えずに言われたことをやるだけ。
『嫌われる勇気』にも同じような話が出てきます。
「自分が今こんな生活になってしまっているのは、〇〇だからだ!」
という「〇〇という原因によって、現在の状態がが作られている」という考え方を、アドラーは否定しています。
これを原因論の否定といいます。
しっかり説明すると長くなるのですが、簡単に説明しますと
「親が離婚したから自分は幸せな家庭を築けない」
とか
「口下手だから引きこもりになった」
といったような、何か「原因」があって今の自分が作られているという人間は、ただの弱虫である。
幸せになりたいのであれば、「今その瞬間からパートナーを愛せばよい」のであって、親の離婚など全く関係ない。
「引きこもり」に関しても、本人が「引きこもりたい」から引きこもっているだけであって、外に出たいなら勇気を持って外に出れば良い。そこに「口下手」なんてものは一切関係ない。
といったような感じです。
ご理解いただけたでしょうか?
アドラーも原因論から抜け出すためには「主体性」を持って「自分で動き出す」ことが重要だといっているのです。
社会にはいろいろと理由をつけて「行動を起こさない人間」がたくさんいますよね。
その人たちを否定することはしませんが、私の思い描く「主体的な人間」の真逆にあることは確かですし、子ども達にそのような大人にはなって欲しくないと思っています。
ですので「自分が決めたことだからやり切る!」といったマインドを持たせることが大切になってきます。
「主体的な人間」に育てるために必要なのは「家族会議」を開くこと

これを家庭の話に戻しますと、例えば”家族会議“を開き「家事の分担」についてみんなで話をしていきます。
そこで気をつけておくことは、親が一方的に「あなたはコレをやって」「キミはコレをやって」と決めてしまうことです。
「主体性」を持たせる条件として、「自分で決めさせる」ことが必要です。
ですので「お母さんは毎日コレとコレとコレをやってるんだけど、今度仕事を始めるから時間も無くなってくるし、みんなで助けてくれないかな?」というふうに持っていきます。
そうすると大好きなお母さんの助けになりたい子ども達は、おそらく必要以上に「あれもやってあげる」「これもやってあげる」といったように、驚くほどの「主体性」を発揮してくると思います。
その中から子どもが続けられそうなことを親が選択してあげることは重要ですが、これもあくまで「話し合い」のなかで「みんなで決める」ということをしていきましょう。
強い組織には全員で共有された理念がありますが、弱い組織はその理念が全員に行き渡っていません。
それは「みんなで決めた理念」か「他人から押し付けられる理念」かの違いがあります。
ですので「みんなで決めた」というプロセスの中には「自分もそれに納得した」という「主体性」が含まれてきますので、家事の役割分担においても「責任」を持たせることができるのです。
そして任命したそれぞれの仕事については「お風呂掃除リーダー」や「配膳リーダー」などとして尊重してあげましょう。
実際の運営で気をつけること

家族会議で順長に役割分担して、みんながやる気になったとしましょう。
しかし、子どものやる気はそこまで長く続くものでしょうか?
それはなかなか難しいことだと思います。
ここで気をつけなければならないことは、「その場の現象」について「反射的に怒らない」ことです。
例えば家族会議によって「お風呂掃除」のリーダーに就任したはずの長女のやる気が3日で終わってしまったとしましょう。
その時に「お風呂掃除のリーダーでしょ!さっさとやりなさい!」と叱ってしまっては「主体性」は崩れ去り一気に「やらされ感」に変わってしまいます。
そうならないように、あくまで「主体性を持たせる」ことを優先しましょう。
その方法として、「一切口出ししない」ことが大切です。
ですので親も根気強くならなければいけません。
難しいところですが、大変重要な部分です。
ただし、「早くやりなさい!」はダメですが、「今日の掃除はいつ始めるのかな?」といった「進捗確認」は行いましょう。
それは「主体性」を阻害することにはなりません。子ども達も「あと10分で見たいテレビが終わるから、それが終わったらやる!」などといったふうに「自分で決めさせる」ことに繋げることが出来ます。
ですので「主体性を持たせる」ことは、「子どもの教育」でもあり「親の成長」も必要不可欠ですのでそこは覚悟して取り組むことが大切です。
ただ、子ども達に仕事を任せる時に「困ったことがあったらなんでも言って」というふうに、仕事を任せっきりにするだけでなく、「あなたをいつでもサポートできます」という意思表示はしておきましょう。
うまくいっても褒めてはいけない!

これもやってしまいがちですが、気をつけましょう!
家事の役割分担をして、子どもがちゃんと動いてくれた時につい
「〇〇ちゃんえらかったね〜!」
と褒めるのはやめましょう!
え?なんで?と思うかもしれませんので説明いたしますね。
例えばあなたが会社でなにかのプロジェクトリーダーに選任され、完璧に仕事をやり遂げたとしましょう。
そのときに上司から
「〇〇くんえらかったねー!」
とか
「やればできるもんだね!」
と言われたらどう思いますか?
それは単純に上司とあなたの立場の違いを明確化してしまうだけです。
その言葉をかけることによって、上司は「自分の方が上の立場である」ということを主張することになってしまいます。
では、せっかく主体性を持って取り組んでいる我が子にどのように接していけば良いのかといいますと、「感謝を伝える」ことが重要なのです。
「今日もお風呂掃除ありがとう!おかげで気持ちよくお風呂に入れるよ!」
といった「感謝」を伝えましょう。
「感謝」に上下関係はありませんよね。
自分の仕事が誰かの役に立った!と思えることが、「やりがい」を持続させることに繋がります。
私はこれを本で学んでからというもの、「会社」でも「家庭」でも意識して「感謝を伝える」ようにしています。
ですので、2歳の息子は私が頼んでもいないのに、毎日出社する際にはハンカチを持ってきてくれるようになりました。
一度「ありがとー!めっちゃ助かる!」と伝えたことで、それを「自分の仕事」のように責任感を持って継続してくれています。
ですので毎日満面の笑みで感謝を伝えています。
まとめ
今回は嫁との会話の内容を整理する目的でブログにアウトプットしました。
ただ、この「主体性」を持たせることはとても良い考えだと思いますので、気になった方は実際に本を読んで理解を深めてみてください。
我が家もまだ家族会議を開いていませんので、これから家族会議を開いてみようと思います。
それではまた!
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