無条件に「優しい人」を信用してはいけない?!

読書アウトプット

あなたの周りにも「優しい人」はいますか?

困っている人を放っておけないタイプであったり、彼女の“わがまま”をなんでも優しく聞いてあげたり、そのような優しい人間っていますよね。

こういうタイプの人間ってモテるんですよ!

だいたい女の子に

「好きなタイプはどんな人?」

って聞いた場合、かなりの確立で

「優しい人かな!」

と答えることが多いですよね。

本心かどうかは別として、「優しい人」が人気であることは間違いありません。

でもちょっと待って下さい!

そもそも「優しい人」って本当はどんな人?

今回はそんな「優しい人」について深掘りしていきます!

「優しい人」は実は「自己中心的」な人?!

今回のテーマは

「“優しい人”を無条件に信用するのはやめよう!」

という、世間を敵に回しかねない内容でございます。

私がなぜこのような主張をするのかと申しますと、現在読んでいるこちらの本に、大変興味深いことが書かれていたからです。

この本を読んでいると「優しい人」って単純に「気の小さい人」なのかもしれないと思うようになりました。

『ホモ・デウス』は結構長い内容で、途中で挫折しそうになりながらもなんとか読み進めております。

内容は面白いのですが、興味が湧かない部分も結構長いので読み続けるのになかなか根気が必要な本です。

人類の歴史から未来を考察したり、なぜ「他の動物」ではなく「人間」が地球の頂点に立ったのかが書かれており、その手の話に興味がある人にはおすすめです。

『ホモ・デウス』に出てくるラットの実験が大変興味深い!

それでは、なぜ私が「優しい人を信用すること」に対して警鐘を鳴らすに至ったかについて解説していきます。

『ホモ・デウス』にラットを使った実験が紹介されています。

科学者たちは人間のみが持つと信じられている「魂」の存在を証明するためにいろな実験をしてきましたが、形のない「魂」の存在は未だに証明できていません。

今から紹介するのは「思いやり」であるとか「優しさ」などの心を通わせることは、言語が発達した高等な生物である“人間”のみが持ちうるものであるということを証明しようとした実験のなかのひとつです。

少し長いですがお付き合いください。

2010年、科学者たちはラットを使った並外れて感動的な実験を行った。彼らは1匹のラットを小さなケージに閉じ込め、それをずっと大きなケージに入れ、別のラットが大きなケージの中を自由に動き回れるようにした。閉じ込められているほうのラットは「遭難信号」を発した。すると、自由なラットも不安とストレスを感じている様子を見せた。ほとんどの場合、自由なラットは閉じ込められている仲間を助けにかかり、何度か試みるうちに、庭の扉を開けて中のラットを解放することにたいてい成功した。研究者たちは、今度は大きなケージの中にチョコレートも置いて、実験を繰り返した。自由なラットは今や、閉じ込められた仲間を解放するか、チョコレートを自分だけで楽しむかという選択を迫られた。多くのラットは、まず仲間を救い出し、チョコレートを分かち合った(ただし、もっと利己的に振る舞うラットもかなりの数にのぼったので、卑劣なラットもいることがわかった)。

 懐疑的な人は、自由なラットが閉じ込められた仲間を助けたのは、共感からではなく、苛立たしい「遭難信号」を止めるためにすぎなかったと主張して、実験の結果を退けた。ラットは自分が経験している不快感に動機づけられており、その感覚を止める以上のことをしようとしていたわけではないというのだ。そうかもしれない。だが、私たち人間についても完全に同じことが言える。私が物乞いにお金をあげるときには、物乞いの姿を目にすることで自分が経験している不快感に反応しているのではないか?私は本当にその物乞いのことを気遣っているのか、それとも、自分の気分を良くしたいだけなのか?

『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 上』より引用

皆さん、どう思いましたか?

「人間とラットは違う!」

と思いますか?

それとも

「これは科学者の解釈であって、ラットにも優しさや友情は存在する!」

と思いますか?

何が正解かはわかりませんが、私はこの本の作者と同様に、この科学者の解釈は人間にも当てはまるのではないかと思います。

人間に置き換えて考えてみた!

では実際に周りの「優しい」といわれる人間の行動を振り返ってみましょう。

困っている人にすぐ手を差し伸べてあげる「優しさ」は、実は目の前の人が困っている状態を、ただ「ストレス」に感じているだけで、一刻も早くそれを解決したいだけかもしれません。

彼女のわがままをなんでも聞いてあげる「優しい彼」も、実はただ彼女が「キーキー」叫ぶのを、手っ取り早く「黙らせたい」だけなのかもしれません。

「あいつは顔はかなりタイプなんだけど、めちゃくちゃわがままでうるさいヤツだな。とりあえず言うこと聞いてやったら静かだからわがまま聞いてやっとこう。」

と心の中で思っているかもしれません。

いずれにせよ、「優しい人」と一言で言っても、ただ単に困っている人に共感しすぎて自分もストレスでおかしくなってしまいそうなほど「メンタルが弱い人」か、あるいは「人が困っている状況」そのものが不快で、一刻も早く解決してしまいたい「自己中心的」な人など、実は本当に「優しい」といえるか疑問に思うような人も多数存在しているのです。

人は無条件に「笑顔」や「優しい人」に触れると、緊張が解かれ易い生き物です。

そこを利用してくる「優しい人」には注意しましょう。

優しい人は問題解決能力はある?!

これまで「優しい人」に対して、懐疑的なことばかり書いてきましたが、少しメリットも考えてみましした。

今までの話を踏まえて、「優しい人」は「不快」や「ストレス」に敏感であるといえるでしょう。

その「不快」や「ストレス」を感じたり発見する能力は、新たなビジネスアイデアを生む力になるかもしれません。

「不快」「不便」「ストレス」などは大変大きなビジネスチャンスですからね。

また、チームで仕事をする際に、細々した心配りや、チームから離脱する人をいち早く察知し、引き止めることができるかもしれません。

いずれにせよ、敏感であることは良くも悪くも「特殊能力」ですので有効に使えば武器になるのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は無条件で人に愛される「優しい人」について少し考えてみました。

闇雲に「優しい人」を信じていると「詐欺」にあったり、実はDVをするような男にひっかかるかもしれません。

「優しさ」はひとつの武器です。

食虫植物のように、その「優しさ」で獲物を誘うのです。

「優しすぎる人」をいきなり信用してしまうのではなく、その「優しさ」の裏を考えてみる方が安全かもしれません。

それではまた!

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