人間に等しく平等に与えられているもの【それは死である】その1

「元気で面白いお爺ちゃん」への道のり

はいどうも!ボウズマンです!

ブッダの教えについて学んでいると、ふと自分の幼少期を思い出しました。

突然ですが、あなたが「死ぬ」ということを知ったのはいつですか?

初めて知ったとき、どんな感情になりましたか?

「虫や動物にも寿命があるんだから、人間も死んで当然だろう」

と割り切ることが出来ましたか?

私は出来ませんでした。

今回はそんな私の幼少期を振り返ってみます!

人間が死ぬと知ったのは小学2年生の頃だった

今でもその時の衝撃は鮮明に覚えています。

祖母と話をしていたとき、祖母の言った

「まぁ私らもどれだけ生きるかわからんけぇね〜。」

という言葉に対して、「人は死ぬ」ということを知らなかった私は

「事故とか火事とかに気をつけて、健康に生きとけば死なんよ!」

と教えてあげました。

そうなんです。その頃の私の「死」についての認識は、事故や火事や病気などの「アクシデント」によって運悪く死んでしまうものだと考えていたのです。

そんな私に祖母は容赦無く真実を教えてくれました。

「え?何言っとん?気をつけとってもみんな最後は死んでしまうんよ。」

当時の私はパニックになりました。

「え?どうゆうこと?じゃあ婆ちゃんもいつか死ぬん?爺ちゃんも?父さん母さんも?兄ちゃんも?・・・自分も死ぬってこと?!」

「そうよ。みんなみ〜んな死ぬんよ。人はずっとは生きられんのんよ。」

急に頭の中が真白になり、心が「ずん」と重たくなった記憶が今でもリアルに蘇ってきます。

身内の死を経験したことが無かったせいか、それまで「死」について間違った認識を持っていた私は、とても怖くなって頭の中で気持ちの整理がつかなくなってしましました。

解決できない恐怖

頑張って自分の中に「死」を落とし込もうとするのですが、気持ちがそわそわするばかりで、考えているうちに不安で冷や汗をかいてしまうこともありました。

楽しく遊んでいるときも、急に「死」を思い出してしまい、気持ちが突然塞ぎ込んでしまうこともありました。

「人が死ぬなんて教えてくれんかったらよかったのに!」

と思ったこともありました。

最初は「どうやったら死なずに済むか?」という、人間の究極の望みである「不老不死」の方法を小学2年生の私は本気で考えてみましたが、全人類に平等に与えられた不滅の掟を覆すことは、さすがに荷が重すぎました。

「これって無理ゲーじゃんか・・・。」

初めて本気で挫折したのはこの時が初めてで、それ以降の人生でこれ以上の絶望感を味わったことはありませんでした。

考えても考えても逃れられない恐怖である「死」に、私は完敗したのでした。

共有できない恐怖

「死」について思い悩んでいた私は、当時の友人たちは「死」についてどのように考えているのか聞いてみることにしました。

そもそも私のように「人は死ぬ」ということを知らないかもしれない。

知らないのであれば、一緒に恐怖を共有したい。

切実な想いを抱きながら親しい友達に聞いてみました。

「人って死ぬって知っとる?」

すると友達は

「知っとるよ?知らんかったん?」

とびっくりされてしまいました。

何人かの友達に同じ質問をしましたが、分かったことは「人が死ぬ」ことを知らなかったのは自分だけだったということと、友達たちは「死ぬこと」を受け入れているということでした。

なかには「俺、死なん気がする!」とかいうやつもいましたが、大半は「死」を理解したうえで何食わぬ顔で普通に生活していることに衝撃を受けました。

「みんな・・・怖くないん?」

衝撃のあまり聞いてみても、「そんなこと考えてもしょうがないじゃん。」と達観した答えが返ってきました。

「みんな死ぬって知っとって普通に生活しよったんっじゃ・・・」

同級生達がまさかこんな簡単に「死」を受け入れているのに、自分はどうしてこんなに「死」を恐れてしまうのか。

自分がおかしいのだろうか?そんなことを考えていました。

誰とも共有出来ないことを知った私は、更にショックを受けてしまいました。

そうしていつしか「死ぬこと」について考えることを「今死ぬわけではない」と解決するわけではなく、考えることを後回しすることにしました。

まとめ

今回はここまでにして、続きはまた書こうと思います。

「死」について考えることを「後回し」したおかげで、しばらくは平穏な毎日を送ることが出来ました。

あの日が来るまでは・・・

To be continued‼︎

ではまた!

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